Profile

やまち/山本光春
1.☆「音楽活動」と「住友紀人との関係」に特化した略歴☆

ビートルズが本国イギリスを席巻した1963年、徳島市に誕生。

小学校高学年の頃、学友の立石剛くん宅に遊びに行った先で(他校に通う)「近所に住む住友紀人くん」を紹介されたが、ほんの挨拶程度で別れる。当時の住友はすでに長身で、明らかに同年代の連中より成熟した印象であった。

1975年の大晦日、「紅白歌合戦」に初出場したダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドのいかにも場違いで野卑な「一家団欒にそぐわない何か」を感じ興奮する。「ロック(的なもの)」との出会いである。曲は「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」。

小学校卒業直前の1976年初頭、深夜ラジオでBay City Rollersの「Saturday Night」を聴き、ベッドから転げ落ちるほどの衝撃を受ける。BCRは当時「第2のビートルズ」と騒がれていたので、当然の流れとしてほどなくThe Beatlesを知り心酔、現在に至る(後年、ビートルズ生誕の地リヴァプールには2度訪問、計5泊7日を過ごす)。

そのThe Beatles は、中学1年の残暑の頃からは我が「座右の”音”」となる。 John Lennon からは「自我の目覚め」の啓示を受ける。

同時に、当時台頭してきたブリティッシュ・パンクに同時代人として共鳴し、The Sex Pistols、The Clash、The Jamなどはヒーロー、アイドルとなる。

中学時代に1学年上のいとこのバンドでドラムを叩きコンサートなどにも出るようになる。このいとこが後にわが国のハードコアパンク4天王のひとつThe ExecuteのリーダーにしてギタリストのLemmyである(現在もDarkcell名義で活動中)。

1979年、高校入学を機に自らのバンド Mother Noise を結成、ドラムスを担当する。

パンクから発展したいわゆる「New Wave」の影響を多大に受け、オリジナル曲を創作し始める。特に愛聴したのはPublic Image Ltd、The Clash、Japan、XTC、The Police、Souxsie And The Banshees、あるいは日本のLizard、Frictionなど。

1980年、徳島市のバンドコンテストで2位となる。観客による投票でも2位であったが、この時の人気1位のバンド樹狸庵(じゅりあん)のキーボードプレイヤーが他ならぬ住友。しかし当時は交流なし。

1980年12月、John Lennon 暗殺さる。友人宅に泊まる。翌朝、いったん帰宅しNobody Loves You(When You're Down and Out) を聴き号泣。

私がBob DylanやBob Marley を愛するのも、Johnの「言葉の凄み」が影響していることは言うまでもない。

1982年、大学進学のため上京。リーダーとしてのバンド活動の他、いちドラマーとしての参加などを経験する。志向したのはEcho And The Bannymen、Au Pairs、Pigbag、Weekend、Japan、David Sylvianなど。

また、当時のレゲエは刺激的だった。Steel Pulse、Bunny Wailer、Sugar Minottらを愛聴する。

1984年、寺山修司死去後に結成された演劇実験室万有引力の第1回研究生となるも、椎間板ヘルニアを発症し退団、帰徳。接骨院の行き帰りにバンド練習をし、コンテストに出たら徳島で優勝し全国大会に出場。岡崎哲也がベスト・ベーシスト賞を受賞する。

1985年、徳島にて住友と本格的に出会う。彼はバークリー音楽大学を首席で卒業し帰国、徳島に戻ってきていた。住友はMother Noiseにも参加しコンサートやラジオなどで共演。夭逝(ようせい)した大宗春木がギターで参加した即興演劇的怪作「Labyrinth In Blue」が生まれる。

1986年、バンド名をTheatre Brookと自ら命名し東京に進出するも翌年脱退。現在も佐藤タイジが活動継続中。

以降、世に多き「オヤジバンド」なるものを嫌悪しつつ、本格的なバンド活動から足を洗う。

2010年、住友のプロデュースによる徳島県立総合看護学校の校歌の作詞を担当。(2011年4月発表)。


2.☆音楽以外の趣味☆

日本料理。いわずもがなの京都の日本料理。20代後半には「瓢亭」や「大市」の「存在感」に打ちのめされた。

近年では小体で静謐にして、研ぎすまされた味わいを信条とする板前割烹に身悶えること多し。その佇まいとしてやはり祇園、できれば甲部。特筆するなら「川上」「そっ琢つか本」か。祇園北側では「千ひろ」。音楽にも料理にも「土地柄」というものが在るのだ。

ヨーロッパ。観光や買い物はほどほどにして、最高のレストランと最高のホテルで味わう時空間こそが至福。

小津安二郎。人間も三十路過ぎたら小津を観よう。

別格として谷崎潤一郎の名を挙げておこう。三島(由起夫)に習って「大谷崎」と呼びたい。

我が人生で最初のヒーローは1970年代半ばの「南海ホークスの野村克也」である。

当時の彼のあのアンダーグラウンド感、その熟慮遠望たる風貌は、プロ野球界では極めて異端であり、「ロック」的な異彩を放っていたことを明記する。